みなさんは、好きだといえるものはありますか?

それぞれが、いろんな好きをもって、日々を生きているんだと思います。

ゆいは、自分の好きを表現するのがすごく苦手でした。今から見たら、すごく窮屈な毎日を生きていました。

そんなゆいが好きだけど、あまり好きだと言えなかったもののひとつ。それが「嵐」でした。

『同担拒否』『にわかは嫌い』

そんな友達に囲まれていたからか、「この子たちには敵わないし」と思って生きてきました。

でも、そういう生き方は最近しなくなったなと思います。

最後のライブ配信を購入して、CDも買って、グッズも買って。それはこの1年で、『推し活っていいものだよ』と伝えてくれた周りの人間がいたからだと思います。

好きなものは好きといっていい。そう伝えてくれたから。

そして、そんな嵐のラストライブアーカイブを見ながら残したいなと思ったことを残します。


最近、自分は何を目指しているんだろう、と考えることがあります。

いろんな夢があって、やりたいこともたくさんあって。

シェアハウスもそうだし、イベントもそうだし、これからつくろうとしているものもたくさんある。

でも、それらを全部ひっくるめたときに。

ゆいはきっと、愛されるものをつくり続けたいんだと思います。

いつからだったか、誰かの役に立たないと、生きている意味がない、という感覚を覚えるようになりました。

それがいいことなのか、悪いことなのかは分かりません。

誰かと生きるとは、互いに支え合うということだと思うからこそ、そういう感覚は必要なのかもしれない。でも、何も成しえていないと思うときは苦痛とも表現できない何かに押しつぶされそうな感覚になる。

もっと自分のために生きてもいいのかもしれないし、誰かのためばかりを考えなくてもいいのかもしれない。

でも少なくとも今のゆいは、誰かの笑顔や、「ありがとう」の言葉や、「また来たい」という言葉に、生かされています。

だからこそ自分が守りたいものに対するこだわりも、少しずつ強くなっていきました。

この場所はどんな空気であってほしいのか。どんな人に来てほしいのか。どんな関係性を育てたいのか。

そういうことを考える時間が増えました。それが成しえていないと思う判断は、しないようになりました。

ありがたいことにファンだと言ってくれる子たちがいます。

どんなゆいさんでも大好きだと言ってくれる子たちがいます。

だからどんな未来でもついていくと信じ続けてくれる子たちがいます。

正直に言うと。

ゆいは、この子たちのおかげで生かされていると言っても過言ではありません。

自分ひとりでは見えなくなってしまうものを、何度も思い出させてくれる。自分では価値が分からなくなってしまうものを、何度も言葉にして伝えてくれる。

だから。

恩返し、という言葉が正しいのかは分からないけれど、この子たちが好きだと思ってくれるゆいでありたい。

この子たちが帰ってきたいと思える場所をつくり続けたい。

愛されるというのは、たくさんの人に知られることでも、評価されることでもない気がしています。

誰かにとって大切な場所であること。なくなったら少し寂しいと思ってもらえること。

そして、また帰ってきたいと思ってもらえること。

きっと、そういうこと。

だから。

ゆいという存在が。ゆいがつくっている環境が。

これからも愛されるように。そして、愛され続けるように。

少しずつ育てていきたいと思っています。

第二のいえは、ただ人が集まる場所ではなくて。ただ居心地のいい場所でもなくて。

誰かにとって大切な場所であり続けること。時間が経っても、環境が変わっても、ふと思い出して帰ってこられること。

「ただいま」と言えること。そして、「おかえり」と返ってくること。

それが、ゆいの目指す第二のいえ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

次の投稿

自己実現は仕事の中にないといけないのか

月 6月 22 , 2026
この前、『花束みたいな恋をした』を初めて観ました。 […]