2026年が、半分終わりました。

ついこの前、年が明けたばかりだと思っていたのに。気づけばもう、折り返し地点です。
みなさんの上半期は、どんな半年でしたか?

ゆいのこの半年をひとことで表すなら、「捨てた半年」だったと思います。
大事なものを得るために、いろんなものを捨てた半年。

こう書くと、なんだか前向きな決断の話に聞こえるかもしれません。でも、実際はそんなにきれいなものではありませんでした。
捨てることに、さみしさがないわけじゃない。

捨てたものの中には、これまでずっと大事にしてきたものもあります。どうでもいいものを整理した、という話ではなくて。大事にしてきたものを、これから大事にしたいもののために捨てた。そういう半年でした。
全部を大事にし続けられたら、どれだけよかったか。でも、いまのゆいには、全部を抱えたまま進めるほどの器用さも、余裕もありませんでした。

何かを選ぶということは、何かを選ばないということ。
頭では分かっていたはずなのに、実際に手放す瞬間は、想像していたよりもずっと重たいものでした。

ひとつだけ、言葉にしておきたいことがあります。

捨てたからといって、大事じゃなくなったわけではない、ということ。

「大事なもの」と「いま守るべきもの」は、違う。この半年で、その違いを何度も突きつけられました。大事なまま、手放す。そんな選択があることを、ゆいは初めて知りました。

いつか、両方選べる時が来たらいいなと思います。
本当に、心からそう思う。

でも、娘の小学校入学まであと1年となった今、両方を選ぶことはできませんでした。

タイムリミット。

ゆいの中で、この1年はそういう期間です。
自分で生きていく方法を確立するのか、就職や教育現場という意道を選ぶのか。それを決める期間になると思っています。
というか、シングルマザーになると決めたときに、そう決めていました。

娘が小学校に上がるまでに、道を決める。あの日の自分が置いた、期限。

誰かに課されたものではありません。ただ、娘との人生を自分の手で背負っていくと決めたとき、いつまでも宙ぶらりんではいられないと思った。だから、自分で期限を置きました。
あれから時間が経って、気づけばその期限まで、あと1年になっていました。
就職という道が間違っているとは思っていません。自分で生きていく道が正解だとも思っていません。どちらの道にも、その道なりの幸せと覚悟があるはずだから。

大事なのは、どちらが正しいかじゃなくて、ゆいがどちらを望んでいるのか。

そして、正直に言うと。
就職ではなく自分で生きていく方法を、選べそうなところまで来ています。
このままいけばきっと、ゆいは自分らしくママをしつづけるという道を選ぶことができる。数年前には想像もできなかった場所に、いま立っています。

じゃあ、その場所に立っているゆいは晴れやかなのかというと、そんなことはなくて。

意思決定をするということは、怖い。
何かを捨てるということは、怖い。
間違っているんじゃないか、という重圧が、毎日のようにゆいのことを襲います。

本当にやっていけるのか。娘に不自由をさせないか。捨てたものたちに、いつか「やっぱり」と後悔しないか。
考えても答えの出ない問いが、頭の中をぐるぐると回り続ける。

ふとした弾みに、涙が溢れてくる。自分というものを、保っていられなくなる。
選べそうなところまで来ているのに。
むしろ、来ているからこそ、なのかもしれません。

夢が遠くにあるうちは、怖さも遠くにありました。でも、手が届きそうな距離になった今、「この選択で本当にいいのか」という問いが、現実の重さで迫ってくる。
それに、この選択はゆいひとりの人生の話ではありません。娘の人生の基盤にもなる選択です。
だからこそ、重い。だからこそ、怖い。

この怖さが消える日は、たぶん来ません。

でも最近は、こうも思います。
怖さがあるということは、それだけ本気だということ。どうでもいい選択に、人は怖くならないから。

前に書いたことがあります。乗り越えるとは、消すことではなくて、共存することなんだと。
この怖さも、きっと同じです。
意思決定の怖さも、捨てたもののさみしさも、間違っているんじゃないかという重圧も。消してから進むんじゃなくて、抱えたまま進む。
そして、それと共に生きていくしかない。

だって、そういう人生を生きると決めたのだから。

シングルマザーになると決めたあの日から、ゆいの人生は「決める」ことの連続でした。誰かに決めてもらえたら、どれだけ楽だろうと思ったことは、一度や二度じゃありません。
それでも、自分で決めてきました。これからも、自分で決めていくんだと思います。

ただ。

あのころとひとつだけ、違うことがあります。いまのゆいには、支えてくれる家族がいます。
決めるのは、自分。決めることの怖さを、誰かに肩代わりしてもらうことはできない。
でも、ゆいが見ている未来を、同じ方向から一緒に見てくれる人がいる。
「その未来、いいね」と同じ景色を見ながら、隣を歩いてくれる人がいる。

ひとりで決めると覚悟したあのころには、想像もしていなかったことです。あのころのゆいは、全部をひとりで背負うことが覚悟だと思っていたから。
自分で決めることと、ひとりで決めることは、違う。
そのことを、いまのゆいは知っています。

弱いところを見せても大丈夫だと思える人が、そばにいてくれる。強がって「大丈夫だよ」と言い続けなくても、いい。
それだけで、怖さは消えなくても、怖さと一緒に立っていることはできる気がしています。

涙が溢れる日があっても。自分を保っていられなくなる日があっても。

それは、弱いからじゃなくて。それだけの重さのあるものを、自分の手で選ぼうとしているから。
そして、そんな日のゆいを支えてくれる家族が、ちゃんといてくれるから。
だから、明日も決めていける。

残りの半年も、きっと何かを選んで、何かを捨てていきます。
そのたびに、またさみしさを覚えて、また怖くなるんだと思います。

それでも。ひとりで、じゃなくて。同じ未来を見てくれる人たちと、一緒に。
そして、捨てずに持っていたい願いが、ひとつだけあります。

いつか、両方選べる時が来たらいいな。

その日まで、この願いだけは手放さずに、進んでいこうと思います。

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