今日、はじめて。
ゆいが何も関与しないイベントが、この家で開かれた。
今も実際目の前で繰り広げられている。

みんなでお菓子をつくる日。がんばる女の子たちへのご褒美。

15人くらいの女の子たちが集まって、
いくつかのグループに分かれて、それぞれ違うお菓子をつくっていた。

ゆいは、その輪の中に入らなかった。

レシピも決めていないし、
進行もしていないし、
話題も振っていない。

ただ、その場にいた。
ただ、見守っていた。

ずっと思っていたことがある。

いつか場の真ん中から降りなければいけないんじゃないか。
同心円状の拡がりは、自分が中心にいる間は成立しないんじゃないか。
この感覚だけをずっと持ち続けていた。

最初は、どうしても自分が中心になる。
企画をして、声をかけて、
集めて、整えて、回して。

でも、それだと、
どうしても「ゆいの場」になる。

それはそれで、悪くない。

でも、ゆいが本当にやりたいのは、ゆいの彩で染めることじゃない。
いろんな彩が、混ざって、滲んで、予想もしなかった彩になること。
その場でしか起こりえない、化学変化が起こること。

今日、その景色をはじめて見た。

グループごとに笑い声の種類が違う。

グループごとにテーマを決めて、お菓子をつくる。
恋バナをしたり、歌を歌ったりつまみ食いをしたり。

ゆいはその輪に入らず、少し離れた場所からパソコンの画面を前に眺めている。

胸の奥が、ぽかぽかした。
ああ、幸せだなぁって思った。

正直、怖さもあった。

ゆいが何も関与しなくて、成立するのか。
この場で守りたいと思っているものは守られるのか。
その怖さは、寂しさとは違くて。
「ゆいがいなくても楽しそう」という怖さじゃない。

この空気が壊れないか。誰かが傷つかないか。
この場所のあたたかさが、ちゃんと保たれるか。

その怖さだった。

でも、ゆいが真ん中にいないことで、見えたものがある。

それぞれの彩が、より自由に広がっていた。

これまでこの家に足を踏み入れなかった人が
このきっかけがなかったら出会うことのなかったかもしれない人が
自由にこの場を彩っていた。

ゆいがずっとやりたいと思っていた理想形は、これだったのかもしれない。

ゆいがしたい場づくりは、中心に居続けることじゃない。
この場で目立ち続けることでもない。

評価もしない。
判断もしない。
ただ、そこにいる。

必要なときだけ、少し光を当てる。太陽みたいに。

太陽は、誰かを操作しない。
命令もしない。
ただ、照らす。

その光の中で、
それぞれの花が、自分のペースで咲く。

今日のゆいは、そんな存在でいられた気がする。

そして、思った。

こうやって、自分が少しずつ中に入らなくなっていくことで、
輪は拡がっていくのかもしれない。

ゆいの彩で染める場ではなく、
彩が混ざり、滲む拠点。

第二の家。

居場所というのは、誰かの所有物じゃない。
誰かのステージでもない。
そこに来る人が、自分の彩を出せる場所。

今日、はじめて、
その未来の断片を見た気がした。

ゆいがいなくても成立する場をつくること。
でも、ゆいがいなくていいわけじゃない。
太陽だって、なくなればその景色を変えてしまう。
この場がなければ、挑戦のきっかけをつくれないことだってある。

だから、場としてこの場を大切にしつづける。
ただ、前に出すぎない。

それが、これからの場づくりのかたちなのかもしれない。

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