「怖い、このままじゃだめだ、勝たないと」

いつからか、議論に勝ち負けがつくようになっていた。対話をしたい、と思っているのに対話にならない。勝手に攻撃をされている気がして、攻撃をし返している。

「昔のゆいちゃんは柔らかいって感じだったけど、最近は語気が強くなったね」

そういわれる背景とこの数日で考えていることを、久しぶりに文章にまとめようと思います。

大前提。これはゆいの主観からくる、ゆい視点の事実です。あと結構重たい話をそのまま書きます。

「そういう意図じゃなくて、、、」

この何気ない、ただ、すり合わせるために使われている言葉が、ゆいのなかではいつの間にか、攻撃を受けている、という感覚を想起させるトリガーになっていた。

「ゆいちゃんは察する力があるんだから、俺の意図は察してほしいし、俺にはその力はないから、俺に伝わるように話して」

「なんで俺の話は察そうとしてくれないの?」

重圧だった。すべてを正しく解釈できないと、すべてを正しく伝えられないと、相手の意図と相手の解釈で責められる。認識の違いが起きることは、自分の怠惰だといわれる。

「なんでこれでわかってくれないの!」

そう思えば思うほど、どんどん語気が強くなる。だって、伝わらないと意図と違うことで責められるから。

そんな意図のない、何気ない発言で、ゆいはすべてを失った。生きる価値も、ともに生活をする理由も、すべてないといわれた。

人は、ひとりでは生きていけない。助け合って、支え合って生きていく。
目標は、ひとりでは叶えられない。大きな目標であればあるほど、同じものを目指す仲間が必要になる。

そんなこと、十分理解している。理解しているし、そうやって何度も人には伝えてきた。

でも、誰かに支えられていると感じると、
「自分には何もないから」
と自分を悲観する方向に思考が働くようになった。

この半年で、生活の基盤や基準が大きく変化した。もう一度、家族というものを構築するようになった。ずっと追いかけてきた夢に手が届きそうな場所で仕事をしている。

でも、すべてがうまく回らない。

コミュニケーションエラーが増えた。怖さに飲み込まれる頻度が上がった。

「もうこれ以上何も言わないでくれ」
「わかった、ゆいが悪いから」

そうやって、目の前の怖さから逃げる。向き合ったってどうせ無理でしょ、ってどこかで思っているからかもしれない。目の前にいる相手は違うのに。

この二日で、なぜそのコミュニケーションになってしまうのかをずっと考えていました。ごめん、って何度も思いながら、でも気づいたら自分を攻撃している言葉だと解釈して、誰かを攻撃してしまうから。

ゆいが間違ってるって言いたいんでしょ、と思うたびに、自分自身を否定した。間違いがない人間なんていないのに。自分はそうであろうと必死だった。

そうじゃないと、価値がないんだと潜在的に感じてしまっていた。

別に誰も、ゆい自身を責めているわけじゃない。もっとやれるよ、もっと考えられるよ、って自分だけじゃ届かない場所に行くためのアドバイスをくれているだけ。

こんな風にしてみたらもっと良くなるかも、ってゆいのために考えてくれているだけ。

でも、それらすべてを攻撃だと受け取ってしまっている。

最近、自分には何もないんじゃないか、どうせ誰の役にも立ってなくて、自分はいらない人間なんじゃないか、と思ってしまう頻度がすごく高くて。

支配下に置かれて、人格を否定されることを極端に恐れていた。

年明けくらいからか、実はバカみたいに泣いてます。いろんな言動はすべて、ゆいを見下しているから出てくるものなんだと、なぜかそれが必然かのように思ってしまっていた。

自分が必要ないからそういう行動をとるんでしょ、ってずっと思っていた。正直結構限界だった。

それは、見下されることに慣れてしまったから。そういうコミュニケーションだと受け取ることが、通常運転になってしまったから。

バカだと思いますよね、そんなわけないでしょって。

ゆいも客観視するとそう思う。そんなみんなひどくない。周りにいてくれる人たちは、ある程度のリスペクトをお互いにちゃんと持っていて、お互いの現実と未来が少しでも良くなることを考えている。

子どもじゃないんだから。それくらいみんなしてる。

でも、そう信じて、どうすればいいかを考えつづけた先に待っていた未来が絶望だったから。目の前の人からの明確な殺意を感じて、人生が終わると思った瞬間だったから。

些細な雰囲気や言葉尻が近いと、恐怖に襲われる。生きていることさえも否定されて、追いかけている夢もバカにされる。

ゆいは、みんなと違ってその程度の人間でしかない。

ゆいが思っていた以上に、いろんな出来事は過去になっていなくて、今のゆいの中にトラウマとして残っていたみたいです。おそらくすべてPTSDの症状。

だから反発してもいいよね、と開き直るつもりは一つもありません。ただ、先天的な自分の欠陥ではなく、理由があったからじゃないかと考えられるようになったことは、ゆいにとっての大きな一歩。

ここまで育ててくれた両親のせいでこうなったと誰にも言われなくて済むかもしれないのも、ゆいへの救い。

「この親に育てられたから、ゆいちゃんはわかんないんだなって思ったよ」

この言葉が、ずっとゆいの中には残り続けていたから。

本気で一生をともに過ごそうと思っていた人に「結婚詐欺だ」といわれ、愛娘から父親という存在を奪った。
着いていきたいと思っていた人が関わってくれるのは長年の情で、まわりのメンバーはゆいの行動をおかしいと思っている。

そんなゆいへの言葉が、全部残っていた。周りの人間に「そんなことない」といわれても、娘が目の前で笑っていても。消えない。

どうせ自分は誰のことも幸せにはできない。ゆいはまわりの人間の時間をむだなことで奪って、不幸せにしてしまう。

そんなレッテルを自分に貼り続けていた。

今日は、どの言葉をどう解釈するから怖くなるのかに向き合ってみました。

言葉にしたらバカみたいな気もするけど、でも、言語化してみても消えない。むしろ「怖さ」という言語化に逃げて、反発することで守っていたものをダイレクトに受け取ると余計に沈む。

ただ、コミュニケーションエラーは起こりにくかった。ちゃんとどう感じるのかを言葉にして伝えられた。

「そんなこと思ってるわけないじゃん」といわれても、過去がそうさせているんだという理解があるのが伝わるからまだ救われる。変化していくためのステップを一緒に踏むことを許容してくれているから、ひとりじゃないと思える。

トラウマはそんな簡単に消えないし、過去にもできない。でも、そのためにどれだけ小さな一歩だったとしても進み続けるしかない。

こんな言葉に負けてしまう自分は弱くて、嫌いで。そんなのひとりで弾き返すよ、って笑いたいけど。それはできないとこの数年が物語っているので。

ひとりで乗り越えることは諦めて、いろんな人や、時には専門家の力も借りながら進むと決めました。

最後に。いつも当時が想起されて泣いてしまう、すずめの戸締りの最後のセリフの一部を添えて。

「未来なんて怖くない。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る。あなたは光の中で大人になっていく。必ずそうなるの、それはちゃんと決まっていることなの」

3年半で乗り越えられなかったけど、この先の未来は明るいと信じて。もうちょっと弱さをさらけ出しながら、ゆいらしく進んでいこうと思います。

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