最近、ひとつ決めたことがあります。
自分と向き合う時間を、ちゃんとつくること。
躁鬱が再発しました。PTSDも併発しています。今は、通院と服薬が日常の中にある生活です。
正直に言うと、「またか」と思いました。
3年半前、一度逃げたことがあります。薬を飲むことからも、当時の苦しさと向き合うことからも。全部、逃げていました。
でも、あのときは、それしかできなかったと思っています。
薬を飲むと、自分をがっとだめになるような気がした。まっとうな人間として生きることを、諦める行為のように感じてしまっていた。
だから、着ぐるみを着ていました。強がって、「大丈夫だよ」と言い続けて。
当時の話をするのは、ものすごくエネルギーを使う行為でした。1時間のZoomで話したあと、30分動けなくなることもありました。ふとした瞬間に涙があふれてきたり、フラッシュバックが起きたり。
でも、それも全部。その場しのぎで、やり過ごしてきました。
「いつか時間が解決してくれる」
そう信じていたから。
でも、現実はそんなにやさしくなくて、時間は解決してくれませんでした。
だから今、ちゃんと向き合うことにしました。
ワクワクする場所を少し離れて。大好きな人たちとの時間も少し減らして。自分に向き合うための、時間と余白とエネルギーをつくる。
人生でいちばん叶えたいもののために。
その中で、気づいたことがあります。
「乗り越える」という言葉の意味が、少し変わりました。
これまでは、過去のトラウマや苦しさを消すことだと思っていました。なかったことにすること。感じなくなること。
でも、たぶん、それはできない。
消すことは、できない。
だから、共存する。
変えたいのに変えられないもの。それは、病気ではなくて、特性なのかもしれない。
特性は、治すものではない。向き合って、理解して、どう一緒に生きていくかを探していくもの。
そう思えたときに、少しだけ自分の中の何かがやわらいだ気がしました。
ゆいたちが大切にしてきた「プリキュア」という言葉の中にも、もともとそのヒントがあったのかもしれません。
ネガティブな感情を消し去ることではなくて、向き合うこと。その結果として、壊れたものが少しずつ元に戻っていくこと。
解放とは、なくすことではなくて、共存することなんだと。
またひとつ、言葉が深まった気がしています。
これはまだ途中の話です。
それでも、どこかで同じように苦しさを抱えている人がいるなら。
この感覚が、どこかで重なる人がいたらいいなと思っています。
